殺された友人
これは、4年前の冬、とある温泉街で暮らしていた時の話である。
日の出前の仄暗い街を散歩するのは、僕の日課だった。
温泉街の終わりにある登山道の入り口をくぐり、小高くなって街が一望できるところまで登ると、引き返して家に戻る。
その日は散歩帰りで偶然、友人の一人に出くわした。
鹿目(かなめ)という昔馴染みで、いつも頭に付けている立派な三つ又のツノの髪飾りが特徴的だ。
彼には大切な家族があり、日頃、山菜を採って暮らしている。
「今日はずいぶんと早いね」と声を掛けると、鹿目は「実は今日、息子の誕生日なんだ。でかい舞茸の一つでも採って、喜ばしてやりたくてさ」とか嬉しそうに喋っては、そそくさと山奥へ消えていった。
普段はなかなか調子の良い奴だが、ああいう家族思いだから好感が持てる。
舞茸が見つかればいいと思った。
僕は無類の散歩好きだから、他にやることがなければ直ぐ散歩に出る。
その日は生憎暇が有り余るもんで、昼過ぎにまた街へ出た。
湯屋のある通りを香辛料店の前まで歩いた時、その店先に珍しく蜂蜜の小瓶が光っているのを見た。
それに見入っていると、向かいから黒い毛皮を羽織った大男がのそのそと寄って来た。
「調子はどうだい。」と唸るような声で話しかけてきたこの大男は僕の友人で、友達思いの熊本である。
友のためなら危険を顧みずに闘う勇敢な奴で、僕も何度か助けられたことがある。
熊本は春夏秋冬昼夜問わず、真っ黒く豪悍(ごうかん)なる毛皮を身にまとう猟師だが、その日は珍しく三つ又のツノの髪飾りを付けていた。
僕はそれとなく「やあ、素敵な髪飾りを買ったね」と聞いた。
すると彼はこう言った。
「これは買ったんじゃない。今朝、山で大きな鹿を討ったが、これはそのツノだ。おまけに見ろ、そいつはこんなにデカい舞茸を咥えていやがった。今日は鹿肉と舞茸で御馳走だ。」
熊本はゴツゴツの大きな手に舞茸を握って、大分ご機嫌だ。
ちょうど、友達をみんな誘って宴をやるつもりだった、キミもどうだ、と熊本は提案してくれたが、僕は夜の先約を反故には出来ないので、やむなく断った。
熊本は「残念だ。しかし今日一日じゃ食べきれないだろうから、また近いうちにぜひ来てくれ。俺は夜までもう一狩りやることにする」と言いながら山の方へどしどし歩いていった。
実に気前の良い男だ、仕方ない、明日明後日にでも遊びに行ってやろう、と思った。
その日の夜、約束通り、僕は行き付けの人見カフェを訪ねた。
マスターは人見さんと云う銃使いの腕利き猟師で、夜は酒なども出して小ぢんまりと居酒屋を営業する。
「いいところに来た。」
人見さんは僕の顔を見るなりそう言って、今日はおまかせでいいよな、是非おまかせにしてくれ、と強引な注文を取った。
「じゃあ、おまかせで。」
カウンター席に腰掛けて振り返ると、部屋の隅に、三つ又のツノと剛毛の黒毛皮が乱雑に置かれているのが目に留まった。
ツノと毛皮をしげしげ観察していると、「中々いいだろう」と自慢気なマスターが、湯気の立つ鍋を僕の前に置いた。
僕は「立派な毛皮を買ったね」と聞いた。
マスターの答えはこうだった。
「いや、あれは買ったんじゃない。実は今日の昼下がり、山で大きな熊を討った。恐らく山の主だ。すぐに三人がかりで捌いて、今はこの通りの鍋の具だ。新鮮だから旨いぞ。そこに置いてあるのは、この熊の毛皮だ。」
僕は目の前に置かれた熊鍋を見つめた。
で、毛皮と一緒に置いてあるあのツノは何か、と尋ねると、「珍しいことがあるもんで、熊が後生大事にそのツノを咥えていたんだ。そのうち壁掛けにでもするさ。……鍋、食わないのかい。冷めちまうよ」と言われた。
「ああ、食べるよ。」
僕は慇懃(いんぎん)に手を合わせ、いただきます、と深い感謝を示して箸を取った。